紙の生い立ち、土佐和紙の誕生、発展までを年表にしました。
土佐和紙1000年余りの歴史の中で、
忘れてはならないのが高知県出身の製紙改良実業家・吉井源太
全国の手漉き業界を革新する発明を次々に行い、
国内はもちろん世界からも注目を集めた人物です。
紀元前200年頃

  戦国時代を統一した前漢時代(BC202年〜AD24年)の中国で紙が作られた。従来、中国の官僚・蔡倫(さいりん)が後漢時代のAD105年に紙を発明したといわれてきたが、近年、中国の考古学が発展するにつれ、前漢時代の遺跡から紙が発掘された。(現在5件で、いずれも麻紙)

西暦610年

推古天皇18年 「日本書紀」によると、高句麗の僧で製紙法をこころえていた曇徴(どんちょう)が渡来する。
673年 天武天皇元年 飛鳥の川原寺で一切経の写経を行う(後に大規模に行われる写経事業の始まり)。
701年 大宝元年 大宝律令が成り、図書寮が設けられる(ここに中央の官営製紙の紙屋院(しおくいん)が所属していた)。
702年 大宝2年 正倉院に大宝2年の美濃・筑前・豊前三国の戸籍簿の一部が残っており、わが国で漉かれた紙で年代のわかる最古の和紙である。
727年 神亀4年 正倉院文書に麻紙(まし)・穀紙(こくし)・楮紙(こうぞし)・斐紙(ひし・雁皮紙)の紙名が出はじめる。
747年 天平19年 檀紙(だんし・楮紙)の名がはじめて記録される。
751年

天平勝宝3年

朝鮮の新羅時代に世界最古の印刷物「無垢浄光大陀羅尼経(むくじょうこうだいだらにきょう)」が刊行される。

764年

天平勝字8年 称徳天皇の勅願によって百万塔が作られる。その中に入れられた陀羅尼経は、現存するわが国最古の印刷物である。
806年〜810年 大同年間 京都に図書寮別所として紙屋院が設けられ、宮中で使う紙を漉くとともに、全国の技術指導の役を果たす。
927年 延長5年 「延喜式(えんぎしき)」が完成。その中に中男作物(ちゅうなんさくもつ・17歳以上20歳以下の男子が、調(ちょう)・庸(よう)の代わりに納めた作物)として紙を貢納する主要産地国に、土佐をはじめ全国で42カ国が記されてある。なお、紙屋院の規定によると、布(麻布)・楮・雁皮・苦参(くじん)の原料を用い、4人の造紙手で年間2万枚を漉いた。
930年 延長8年 紀貫之が国司として土佐へ着任する。貫之が国府付近で官用紙を漉かせたのが土佐紙のはじまりという説もあるが、実際にはそれ以前から行われていたと思われる。この頃「源氏物語」や「枕草子」などの女流文学には、半透明の染紙の薄様(薄い雁皮紙)や、みちのく紙(檀紙をさす女言葉)などの紙名が数多くあらわれる。
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