1278年 建治4年 間似合紙(まにあいがみ・襖に貼られる雁皮紙)の名がはじめて記される(「祇園執行日記」)。
1328年 嘉歴3年 鳥の子紙(とりのこがみ・雁皮紙)の最も古い記録がある(「雑事記」)。
1469年〜87年 文明年間 この時代にはすでに紙座(かみざ)が成立。
紙や楮の民間流通機構が活発に活動して生産が高まり、各地方の特色ある紙が生まれた。

1475年

文明7年 美濃の天宮上(てんぐじょう・典具帖・楮紙)の名が記される。(竜安寺「算用状」)
1517年 永正14年 公家の進物用として土佐紙が用いられる(「鈴鹿家記」)
1575年 天正3年 越前の奉書紙(楮紙)の記録がはじめて見られる。
江戸時代の公文書に用いられた奉書紙は、越前産が最上とされたが、各地でも盛んに漉かれた。

1591年

天正19年 土佐の安芸三郎左衛門家友(あきさぶろうざえもんいえとも)、養甫尼(ようほに)は伊予の人、新之丞(しんのじょう)から製紙を学び、後の土佐七色紙(とさなないろがみ)を創製する。
1601年 慶長6年 土佐藩主山内一豊(やまのうちかずとよ)、土佐七色紙を幕府に献上する。土佐の御用紙制度がはじまる。(成山村=現いの町成山)
1645年 正保2年 加賀藩で全国の工芸の標本を収集した、「百工比照(ひゃっこうひしょう)」がつくられる。土佐色紙も含まれており、山城や伊豆でも同名の紙が漉かれ収集されている。
1653年 承応2年 土佐の伊野村ではじめて町田清兵衛(まちだせいべえ)が、御用紙漉きを命ぜられる。
1662年 寛文2年 土佐藩で紙などに専売制をしく。
家老野中兼山(のなかけんざん)は紙漉きを保護し、同時に他国への技術の流出を防ぐため、厳しく取り締まった。
1685年 貞享2年 伊野、成山「御用紙漉之定目(ごようしすきのさだめ)を出す。
1709年 宝永6年 高知城下商人、播磨屋九郎兵衛(はりまやくろべえ)、誉田弥左衛門(よだやざえもん)、掛川屋喜三兵衛(かけがわやきさべえ)の三名が、御国用紙(おくにようし)の製造販売を許可される。
1714年 正徳4年 御国用紙の専売権が官営に移る。
1711年〜15年 正徳年間 土佐藩では薬袋紙(やくたいし・雁皮紙)が御留紙(おとめがみ)となる。
1752年 宝暦2年 土佐藩で御蔵紙(おくらかみ)・平紙(ひらかみ)の制度がしかれる。
1755年 宝暦5年 土佐津野山郷で紙漉き一揆が起こる。
1785年 天明6年 土佐池川郷で紙漉き一揆が起こる。
1798年 寛政10年 石見の国東治兵衛(くにさきはるべえ)が「紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)」を刊行する。
1826年 文政9年 伊野村で、手漉き和紙に貢献した吉井源太(よしいげんた)が生まれる。
1860年 万延元年 吉井源太が大型簀桁(すけた)を考案。これにより、紙の生産量が飛躍的に増大する。
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