1871年 |
明治4年 |
手漉き紙で郵便切手が印刷される。 |
1874年 |
明治7年 |
吉井源太、ヤネ入り紙(インキ止紙)、郵便半切紙を発明。わが国最初の機械漉き紙、製造を開始する。 |
1877年 |
明治10年 |
吉井源太、小ざるに針金を張り、簀(す)に紗(しゃ)を敷く抄紙法(しょうしほう)を考案。第一回内国勧業博覧会に吉井源太が薄葉大半紙(うすようだいはんし・コッピー紙・雁皮紙)を出品し入賞する。 |
1880年 |
明治13年 |
吉井源太の指導により、神谷村(こうのたにむら・現いの町神谷)において照賀瀬亀太郎(しょうがせかめたろう)がはじめて、土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)・楮紙を漉く。 |
1884年 |
明治17年 |
吉井源太、静岡県から三椏(みつまた)の種子を購入して、伊野及び三瀬で栽培。また、とろろあおいの栽培も広めた。弘岡上村(現春野町)の中内丈太郎(なかうちじょうたろう)が風呂釜式乾燥機を考案する。 |
1885年 |
明治18年 |
土佐紙業組合を設立。 |
1886年 |
明治19年 |
伊野精紙合資会社が設立され、紙の量産体制が確立する。高知の和紙問屋中平兼吉(なかひらけんきち)が、ドイツ産木材パルプを導入し、日本ではじめて、伊野で使用される。 |
1898年 |
明治31年 |
吉井源太「日本製紙論」を著す。 |
1900年 |
明治33年 |
吉井源太の指導で神谷村に典具帖紙組合を結成する。 |
1901年 |
明治34年 |
全国の和紙生産戸数68,562戸で、明治時代最高となる(生産額12,720,800円) |
1906年 |
明治39年 |
土佐紙合資会社が円網(まるあみ)ヤンキー式抄紙機を導入する。 |
1908年 |
明治41年 |
伊野、高知、桟橋間に紙輸送のため電車が開通する。土佐紙業組合が製紙試験場を設置する。(昭和7年県移管) |
1924年 |
大正13年 |
明治神宮絵画館の要請により、絵画用紙の神宮紙が中田製紙工場で漉かれる。 |
1939年 |
昭和14年 |
全国の和紙生産戸数15,761戸となる。 |
1944年 |
昭和19年 |
高知県においても風船爆弾用紙が漉かれる(全国主要産地で行われた)。 |
1955年 |
昭和30年 |
伊野町立製紙研究所を開設する。 |
1963年 |
昭和38年 |
現在の手すき和紙連合会の前身が設立される。全国の和紙生産戸数2,868戸となる。 |
1968年 |
昭和43年 |
手漉き和紙の分野で初の重要無形文化財の保持者の指定(越前奉書の岩野市兵衛、雁皮紙の安部栄四郎)、翌年には、石州半紙と本美濃紙の総合指定が行われる。 |
1972年 |
昭和47年 |
土佐典具帖紙が第八回キワニス文化賞を受賞する。 |
1973年 |
昭和48年 |
土佐典具帖紙が国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択される。 |
1974年 |
昭和49年 |
伝統的工芸品産業の振興に関する法律が制定される。 |
1976年 |
昭和51年 |
手漉き和紙用具の紗製作者、山崎鶴亀(やまさきつるき)が国の文化財保存技術の保持者として選定される。全国手漉和紙用具製作技術保存会が、国の文化財保存技術の保持団体として選定される。土佐和紙が国の伝統的工芸品に指定される。 |
1977年 |
昭和52年 |
清帳紙(せいちょうし)が国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択される。 |
1980年 |
昭和55年 |
土佐和紙が高知県保護無形文化財に指定される。(土佐典具帖紙・清帳紙・薄様雁皮紙・須崎半紙・狩山障子紙) |
1985年 |
昭和60年 |
土佐和紙伝統産業会館(いの町紙の博物館)が開設される。 |
1994年 |
平成6年 |
表具用手漉き和紙(補修紙)制作者、井上稔夫が国の文化財保存技術の保持者として選定される。 |
1995年 |
平成7年 |
高知県立紙産業技術センターが開設される。
土佐和紙工芸村が開村される。 |
2001年 |
平成13年 |
M田幸雄(土佐典具帖紙抄紙)が重要無形文化財(人間国宝)に認定される。 |